贈り物がまた面白くなれるんじゃないかなと思います(菅原工芸硝子 菅原裕輔さん)

  • by SHOPSTAFF

MITSUBOSHI1887を愛用してくださっている「使い手」の声と出会うMeets VOICE(ミツボイス)。

今回は九十九里に拠点を構えるガラスメーカー「菅原工芸硝子株式会社」代表取締役の菅原 裕輔さんに代官山ショールームスタッフの山田 桜子(桜)がお話を伺いました

 

ガラスの美しい表情を、一番美しいところで止めて形にする。

(桜)
本日はよろしくお願いいたします。
菅原さんはガラスメーカー「菅原工芸硝子株式会社」の三代目でいらっしゃいますが、どんな会社なのでしょうか?

(菅原)
主に、手作りのガラスの食器を作っています。現在は千葉の九十九里に本拠を構えていますが、創業は東京の亀戸です。九十九里に来て59年、創業してからだと88年になりますね。

(桜)
老舗のガラスメーカーですね。創業は東京都内で、そこから拠点を移されたということですね。

(菅原)
はい。昔、江東区や墨田区の辺りはガラスの産地として有名で、メーカーが多い地域だったんですよ。今でこそ少なくなってしまいましたが、江戸切子の職人がいたり。
我々の会社もその地域の町工場の一つとしてスタートし、その後より良い環境でものづくりがしたいと59年前に九十九里に移りました。

(桜)
東京でガラスメーカーが減ってきているんですね。全国だと、ガラスメーカーはどのくらいあるのでしょうか?

(菅原)
実は、日本全体でも手作りでガラスを作っているメーカーはほとんどありません。個人の作り手はいるんですが、ガラスメーカーとしてものづくりをしている企業は日本に10社ぐらいしかないですね。

(桜)
菅原さんの会社がそのうちの1つなんですね。では、スガハラの製品にはどんな特徴があるんでしょうか?

(菅原)
うちの製品の特徴は、ものづくりをしている技術者たちがデザインも開発も行っている点です。

一般的にガラスって「透けている」とか「涼しげ」、「はかない」という印象があると思うのですが、実はガラスは作っているときが柔らかくて熱を帯びていて一番綺麗なんですよ。そのガラスならではの美しい表情を、職人たちが一番美しいところで止めて形にしています。

(桜)
職人さんたちの手によって、一つ一つのデザインが決まるんですね!その製法は、創業当初から変わらないのでしょうか?

(菅原)
いえ、創業当時は下請けの会社で、今の形になったのは1970年代に入ってからです。
70年代って、経済の激動期だったんですね。オイルショックがあって不況になると、下請けの企業にできることは非常に少なくて、価格競争にも限界がありました。
そこで、「自分たちで新しい価値を作って、伝えていこう」という方向に大きく舵を切ったんです。

ものづくりの一番の醍醐味は、人に喜んでもらったりすごいと思ってもらえること。

(桜)
決まった製品を受注して製造する方法から、自分たちで新たに商品を生み出す方法へガラッと方向転換されたと。

(菅原)
はい。当時としてはかなり無謀な策だったと思います。でも、幸いにすぐに大ヒット商品が生まれたんです。これが今でも現役の商品なんですが、コーヒーゼリーを入れる器でした。

当時コーヒーゼリーが世の中に初めてお目見えして、喫茶店を中心に大流行していて。でも当時は今みたいなスピード感もないし、専用の器がすぐに作られることもなくみんな小鉢などの容器で代用していたんですが、これがどうもかっこ悪いし食べにくい。
そこで、コーヒーゼリー用の器を開発して販売したところ、これが空前のヒットになりまして。

(桜)
公式サイトにもある『#330』ですね!口の部分が斜めになっているのがとてもかっこいいです。

(菅原)
ありがとうございます。今でも昔からあるような町中のレトロな喫茶店に入ると、ほぼ出会うことができます。

このメガヒットによって苦しかった経営が立ち直ったのも事実ですが、それ以上に会社にとっての大きなターニングポイントになりました。それまでの受注生産では、この製品がなぜこの形をしている必要があるのかとか、どこでどういう風に使われているのかもまったく分からない状態だったんですね。

でも、ものづくりの一番の醍醐味って、人に喜んでもらうとか、すごい!と思ってもらえることじゃないですか。だから、自分たちが作った器が身近な喫茶店で使われているのを見て、ものづくりの面白さを実感することができたんです。そこから、どんどん新しいものが生まれていくようになったんですね。

(桜)
『#330』が今のスガハラの原点になる商品だったんですね!

ブランドや商品自体の良さだけでなく、それを使った「暮らしの楽しみ方」も伝えていく。


 

(桜)
菅原さんは初めから家業を継ぐつもりだったんですか?

(菅原)
いいえ、実は私は大学を卒業した当時はあまり家業に興味がなくて。ファッション業界に興味があったので、レディースのハンドバッグの会社に入社しました。
最初は営業に配属されて百貨店の担当になったんですが、当時の百貨店って全盛期で、バイヤーも高飛車だし忙しいし、1時間とか平気で待たされるんですよ。
暇を持て余してぶらぶらと別のフロアに行くと、食器売り場にうちの製品があったんです。でもそれが、結構ひどい売られ方をしていて。

(桜)
一体どんな風に売られていたんですか?

(菅原)
当時は製品にロゴのシールを貼って出荷していたんですが、それがご丁寧に全部はがして並べてあったんです。欧米の製品はブランドを掲げて華やかに飾られているのに、うちの製品はまるでその他大勢といった感じで、用途別に並べられていて。
それを見て「何とかしないと」と思い、いてもたってもいられなくなり会社は2年で辞めました。

(桜)
それがきっかけで、家業の会社に入ることを決意されたんですね。最初はどんなことに取り組まれたんですか?

(菅原)
まずは、売り方を大きく変えましたね。当時はうちもまだまだ、「良いものなら買ってくれるでしょ?」みたいなメーカー気質があって。そこを、問屋卸もすべて辞めて「伝えて売る」売り方へと大きく転換しました。

でも、最初はやっぱり結構大変で。今でこそライフスタイルや暮らしを楽しむことに価値が置かれるようになってきましたが、当時はまだ浸透していなかったんですね。3万も5万もするハンドバックはバンバン売れたのに、うちの2000円のグラスは「高い」と言って買ってくれないんですよ。これは相当なカルチャーショックでしたね。

(桜)
同じお金でもかけるポイントが偏っていたり、限定されていたんですね。

(菅原)
やっぱり当時は、着飾るものや外に見えるものにはお金をかけやすくても、家の中で使うものにまでお金はかけられない、という感覚があったんだと思います。
そこから、単にブランドや商品自体の良さを伝えるだけじゃなく、「この器でこの飲み物を飲むとこんなに美味しく感じます」とか、そういうその商品を使った暮らしの楽しみ方を新たに作っていかなきゃいけないなと思ったんです。

(桜)
今でこそ、ものづくり企業のアトツギが自社製品を使ったライフスタイルを新たに打ち出して直接消費者に販売していく話はよく耳にしますが、菅原さんはその先駆者のお一人だったんですね。

(菅原)
先駆者と言っていいのか分かりませんが、早い方だったと思います。それに、父の代でやりたいことをやれる土壌はだいぶ作ってくれていました。

うちは昭和59年に、3坪くらいの小さなお店を六本木にある『ロアビル』の中に出していて。

(桜)
ロアビルと言えば、六本木のランドマークだった伝説のビルですよね!

(菅原)
そうなんです。当時店を出した理由として、「自分達が伝えたいことを、きちんとお客様に伝えたい」という想いがあって。ガラスは当時まだまだ夏の商材みたいなイメージがあって、秋になると売り場自体なくなってしまうこともあったんですね。そこで、当時は珍しかった実店舗を出したんだそうです。

(桜)
代々積み重ねてきたものが、ブランドの資産としてしっかりと受け継がれていったんですね。


MITSUBOSHI1887のストールは、無意識に常に身につけてしまう。

 (桜)
続いて、愛用いただいているMITSUBOSHI1887の製品についてお話をお伺いしたいと思います。まず、最初にMITSUBOSHI1887のことを知っていただいたのはいつでしたか?

(菅原)
最初に知ったのは、2019年のICCというビジネス・カンファレンスのパーティーでしたね。そこで初めてMITSUBOSHI1887さんのTシャツを触って、「なんじゃこりゃ!」って。他のTシャツとは全然違うなと思いました。

(桜)
嬉しいお言葉ありがとうございます!その時、Tシャツの耐久性についてご質問いただきましたよね。

(菅原)
そうでした。うちの職人たちは仕事のとき、ロゴ入りのTシャツをユニフォームとして着ているんですね。夏は50℃ぐらいになる過酷な現場なので、低コストのTシャツをたくさん支給しているんです。そしたら、職人たちが「安いのじゃなくて、いいTシャツ着て仕事したいな」って言うわけですよ。

それで、MITSUBOSHI1887さんのTシャツは耐久面でも安心だと聞いて、でも人気が高くて入手が困難だということで、いつか職人たちにも着てもらいたいなって思っていたところです。

(桜)
それは嬉しいです。また、先日二子玉川で開催されたレクサスクラフテッドマルシェでは、菅原さんにシルクのストール、奥さまにはシングルオリジンという厳選したメリノウールのストールをご購入いただきましたね。

(菅原)
はい。私は普段衝動買いは99%しないんですが、あのストールは結構即決でしたね。一緒に出かけた妻も、これは欲しいって言ってました。妻は普段は奥ゆかしいというか、何か買ってあげると言っても「いいよ」っていうタイプなんですが。(笑)

(桜)
そうなんですね!ストールの使い心地はいかがですか?

(菅原)
とてもいいですね。私は今九十九里ですが、家族は都内に住んでいるので、半々くらいで二重生活をしているんです。そうすると、洋服の管理がなかなか難しくて…なぜか片方に洋服が寄っていっちゃうんですよ。
でもMITSUBOSHI1887さんのストールだけは、常に自分と一緒に移動しています。本当に無意識に、常に身につけている感じです。

(桜)
無意識にっていうのが、一番嬉しいかもしれません。体が自然に欲してくださっている感じでしょうか。では、奥様はどんなシーンでストールを使っていただいていますか?

(菅原)
妻も、冬に一緒に食事に行く時は、ほとんどしているイメージがありますね。

(桜)
ご夫婦でたくさん使ってくださっているんですね。普段ご夫婦でお出かけされることは多いですか?

(菅原)
夫婦で同じ会社なのですが、休みがあまり合わなくてほとんど一緒に外出はできないんですよ。でも、妻も私も食べるのが好きなので、月一でうちのガラスを使ってくれているレストランに食事に行っています。

(桜)
菅原さんにしかできない最高のデートコースですね!素敵です。


ギフトにおいて重要な要素は、もらった人が長く使ってくれること。

(桜)
クリスマスシーズンも近くなっていますが、菅原さんは普段奥様に贈り物をされることは多いですか?

(菅原)
若い頃はいろいろ工夫していました。結婚して子供が生まれてからは、子供に欲しいものをリサーチさせて、サプライズで渡したりもしていましたね。
でもだんだん、サプライズより現実的に欲しいものをあげた方がいいのかな、って思うようになって。なんだか最近つまらないプレゼントになっているような気がします。

(桜)
実用性をとってしまうお気持ち、分かります。では、菅原さんがこれまで奥様に贈られたギフトの中で、思い出深いものはありますか?

(菅原)
妻の誕生日前に、当時小学1年生だった息子が妻と一緒に銀座に買い物に行って、「買わないけど欲しいもの」を聞いてきたことがあったんですよ。そしたら、息子が私に「ママは宝石屋さんに行った」って言うんです。後日そのお店に息子と一緒に行って欲しがっていたピアスを探して、渡しました。それが、今までで一番喜ばれたギフトかもしれないですね。

(桜)
それは素敵なエピソードですね!お子様も一緒に探したというところに、じーんときます。ギフトってもの自体はもちろん大切ですが、選ぶ過程だったり、どんな想いでどんな風に渡すのかによってより価値が生まれますよね。

ギフトと言えば、スガハラの商品を贈り物用に購入される方も多いのではないですか?

(菅原)
多いですね。お買い上げいただく商品の半分くらいは、ギフトとして選んでいただいていると思います。

職人たちには自由にデザインをさせていますが、唯一の約束事として、アートピースみたいなものではなく「暮らしの中で使うもの」を作るように、と伝えています。

ガラス製品は扱いが難しそうだとか、とっつきにくい印象を持たれやすいかもしれませんが、私たちは使うにつれ自然と愛着が湧いてくるような、そんな製品を届けたいと考えています。
それって、ギフトにおいても重要な要素だと思っていて。もらった人が長く使ってくれることが、送り手にとっても大事なことだと思うんですね。


(桜)
送り手にとって何が一番嬉しいって、もらった人がそれを「いいな」と思って日常的に使ってくれることですよね。
ちなみに、MITSUBOSHI1887のストールは、ギフトとしても良さそうでしょうか?

(菅原)
最適だと思います。普段は妻の分まで何かを勝手に選んで買うなんてことはしないのですが、このストールはもしあの時一人だったとしても迷いなく買ったんじゃないかなと思いますね。
それに前回のICCのイベントでも、MITSUBOSHI1887さんのTシャツを着た経験がある人達がみんな「これいいよ!」って自慢するように言っていたのを見て、間違いないなと。

(桜)
ありがとうございます。ブランドとしてもまだまだ知られていない存在なので、使った人に「これいいよ」って言ってもらえることが一番大事だと思っています。MITSUBOSHI1887の製品を愛用してくださっている方から「家族や友人に褒められた」という声もいただけることも多く、本当に嬉しいです。

コロナ禍で人々がギフトを贈り合う中で、また純粋なプレゼントのやり取りが行われるようになった。

(桜)
このコロナ禍において、ギフトの意味合いも変わってきていると思いますか?

(菅原)
ギフトという視点で見ると、このコロナ禍はある意味すごくいい機会でもあるのかなと思います。
最近はギフトがだんだん儀式化していくにつれ、お中元にしてもお歳暮にしても「形式だけならあげなくてもいいんじゃないか」と、ギフトを贈り合う習慣が減っているような傾向があったと思うんですよ。
でも、コロナ禍で色んな人がギフトを贈り合う中で、単に「喜んでもらいたい」とか「今こんないいものあるんだよ」とか、そういう純粋なプレゼントのやり取りが行われるようになったなと。儀式化してつまらなくなってきた贈り物が、まただんだん面白くなれるんじゃないかなと思いますね。

(桜)
直接会いづらくなったからこそ、相手のことを想って本当に贈りたいものを贈る人が増えてきた気がしますよね。

では最後に、今年で88周年を迎えるスガハラの今後の展望などをお聞かせいただいてもよろしいでしょうか。

(菅原)
私たちは毎年、ガラスメーカーとしてはダントツの数の新商品を出しています。なので今後も変わらず新しいことにトライして、新たな発見をし続けていきたいですね。
そして、私たちのものづくりを世界にももっともっと伝えていけたらなと思っています。
コロナの影響もあるのですぐには達成できませんが、最終的には九十九里に私たちのものづくりを見に世界中から人が集まるような『Sghrビレッジ』を作れたらいいな、と考えています。

(桜)
Sghrビレッジ、とても素敵ですね!いつかお邪魔できるのを楽しみにしています。
私たちMITSUBOSHI1887も、人と素材の素敵な関係や、使い手と作り手の繋がりといったコンセプトを大切にしています。日本中、世界中の作り手がそういう風に立ち上がることで、使い手の世界ももっと豊かになっていくんじゃないでしょうか。

菅原さん、本日は貴重なお話をありがとうございました!


菅原さんご愛用のストールはこちらから

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